京都の祇園祭は歴史のある伝統的なお祭りです。
祇園祭の名前や、稚児、ちまきの由来はどこから来ているのでしょうか?
ユダヤが関係しているという話もありますね。
祇園祭のアレコレを調べてみました。
京都の祇園祭の名前の由来は?ユダヤとの関係は?
京都の祇園祭について探る前に、祇園祭とは何か知る必要がありますね。
まずは祇園祭がどんなお祭りなのかまとめてみました。
・祇園祭って?
祇園祭は日本三大祭のうちのひとつで、八坂神社のお祭りです。
7月1日から31日まで行われるお祭りで、7月17日に行われる山鉾の練り歩きと並ぶ出店に心が躍る人は多いのではないでしょうか。
屏風の展示や宝物、工芸品など普段見られないものが展示され、濃い内容の催しとなっています。
・祇園祭の名前の由来と歴史
祇園祭の始まりは、869年に行われた御霊会から来ているとされています。
御霊会は災いから身を守るため、亡くなった魂を鎮める儀式のことを指します。
当時、降りかかる災害は不慮の死で亡くなった人の魂が起こす祟りだと伝えられていたため、このような儀式が行われていました。
869年の京都では疫病が流行り、人々は苦しめられていました。
疫病を鎮めるために、御霊会が行われたのです。
神泉苑に当時の国の数である66本の矛を立て、祇園の神様を招き神輿3基を用意し、スサノオノミコトを呼んで祈りが捧げられました。
この行われていた御霊会の中のひとつに、祇園御霊会というものがあります。
祇園御霊会は他の御霊会と同様に、疫病が流行ると祈祷されていました。
しかし、970年から毎年定期的に活動が行われるようになるのです。
祇園御霊会は祟りを鎮めるために、歌舞伎や相撲といった内容の取り組みをしてきました。
歌舞伎や相撲はやがて京都の町衆の楽しみになり、祇園御霊会に町衆が積極的に参加するようになりました。
この頃から祇園御霊会は祭りの雰囲気が強くなり始めます。
町衆は商工業者が集まって作られた自治組織のことで、室町時代に入ると町ごとに山鉾を作成し、町中を練り歩くようになってきました。
南北朝時代に入ると鉾はきらびやかになり、祇園御霊会は大規模に。
祇園祭の名前は、祇園御霊会の活動から来ており、慰霊とお祭りの要素を兼ね添えたイベントとして、現在でも親しまれているんですね。
歴史の中で応仁の乱や第二次世界大戦が起こるとお祭りは中断されました。
人々の力で復興されながら、祇園祭は約1100年も続く伝統あるお祭りとして、今も私たちを楽しませてくれます。
・ユダヤと関係はあるの?
祇園祭の山鉾を見たことがある人は、その中に旧約聖書の内容を表すものがあり、驚いたかもしれません。
祇園祭の始まりは869年の御霊会とされていますが、その起源は初代天皇が現れた紀元前7世紀頃にあると言われています。
日本のお祭りがユダヤとつながりがあるなんておもしろいですね。
その理由や歴史を紐解いて見たいと思います。
・日本とイスラエルとの関係
歴史は紀元前13世紀の中東まで遡ります。
パレスチナに定着したユダヤ教は発展し、イスラエル王国は豊かに成長していました。
しかし繁栄は永遠には続かず、北王国と南王国に分裂してしまうのです。
北王国は紀元前722頃滅ぼされてしまうのですが、この時イスラエル王国を作る際に集まり北王国に属した、アブラハムの子孫の10部族の行方が現在でも分かっていません。
10部族の行き先は旧約聖書の教えに習い、東へと移動したのではないかと推測されています。
研究により、部族の一部がミャンマーや中国へたどり着いたことがDNAから判明しています。
そして残る多くの部族が最終的に到達したのが日本ではないのかと言われているんですよ。
ユダヤの文明と日本には様々な共通点があります。
ユダヤでは宗教用語を使う際にヘブライ語を使いますが、あける・はえる・はかるなど、日本語と共通する言葉が500以上存在します。
驚くことに、意味も同じなのです。
また、イスラエルではシオン祭というお祭りが行われます。
この行われる期間が、祇園祭とほぼ同じなのです。
祇園祭山鉾連合会 理事長も祇園祭とユダヤの文明との結びつきを認めているんですよ。
祇園祭は様々な文化が取り入れられた、奥深い催しだと言えますね。
祇園祭の稚児・ちまきの由来は?
祇園祭で見かける稚児やちまき。
これらにはどのような意味があるのでしょうか。
それぞれ調べてみました。
・祇園祭で手に入るちまきの由来は?
ちまきと聞くと、食べ物のちまきを思い出す人が多いでしょう。
祇園祭のちまきとは、笹の葉で作られたお守りです。
祇園祭の間に山鉾のお会所や八坂神社で販売されます。
一般的な厄除けだけでなく、山鉾によってちまきの効果は変わります。
例えば、占出山は安産、木賊山は迷子除け・再会など、種類は様々です。
本当に多くのお守りが存在するので、目的に合わせて購入しても良いですね。
さて、ちまきの由来ですが、八坂神社に祀られている牛頭天王から来ています。
牛頭天王はある時旅人に身をやつし、蘇民将来という名の男性の家に表れます。
蘇民将来は貧しいながらも、1泊泊めて欲しいという牛頭天王の頼みを聞き入れ、もてなしました。
牛頭天王はとても喜び、蘇民将来の子孫を末代まで護る約束をお礼をかねて行います。
さらに腰に茅の輪を目印としてつけるようにと伝えました。
茅の輪は束ねた茅を巻いて作られます。
そこから茅巻(ちまき)と呼ばれるようになり、祇園祭で販売されるちまきの形になったとされています。
災いを退ける力に溢れた、伝統的なお守りだと言えますね。
・ちまきの飾り方・処分の仕方
ちまきには災いが家に入らないように守る力があるとされています。
そのため、飾る時には玄関の軒先や出入り口の門に飾ります。
内側に飾っても効果はないので気をつけてくださいね。
人がよく出入りする場所に、目立つように飾るのがポイントですよ。
ちまきはそのまま1年飾ります。
祇園祭の時期がやって来たら、各山鉾にちまきを返却する箱が設置されているので、そこにお返しをする流れになります。
住んでいる場所が遠方で返しに行けない場合は、最寄りの神社でも大丈夫です。
1年間お世話になりましたと、感謝の気持ちを忘れずに返却しましょうね。
・祇園祭の稚児の由来は?
祇園祭の稚児は神の使いや神の化身とされています。
祇園祭で重要な役割とされ、鉾や神輿の先導を行います。
鎮魂のために行われた御霊会が元になっているので、祇園祭が無事に終わるよう稚児は敬われています。
・稚児に選ばれた人は大変!?
祇園祭の稚児は長刀鉾保存会が京都に住む資産家より選別します。
8〜10歳までの男の子で、選ばれた子どもは生き神様として祇園祭まで大切にされます。
稚児に選ばれた子どもは日常生活が一変します。
6月から儀式の準備や練習が始まり、6月23日に結納の儀式が行われます。
7月13日から17日の間は身の回りの世話を全て男性が行います。女性が作った食事は食べられません。
また、上記期間の間は、14日を除いて地面を歩いてはいけないともされています。
稚児の行事に合わせて着物も揃えなければなりません。
稚児の着物をあつらえる呉服店は、その売り上げだけで1年間暮らしていけると言える程。
祇園祭の稚児にかかる費用は約2000万円とも言われており、着物だけでなく、謝礼や行事後の宴会費用もあります。
学校も休まなければいけませんね。
稚児に選ばれるのはとても名誉ですが、その役目を全うするのは大変だということが分かりますね。
まとめ
祇園祭は美しい山鉾や出店が並ぶお祭りというだけではありません。
その背景には1000年以上に渡る祭りの歴史的背景や、鎮魂としての意味合いなど多くの要素が絡み合っています。
祇園祭の歴史を知った上で参加をすれば、違った視点からお祭りを見ることができますね。
ぜひ奥深い祇園祭を楽しみましょう!